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夏休み読書感想文...もどき

巷では、夏休みに課題として読書感想文が出ているという。そこで、孫につきあって一冊の本を手に取ってみた。それは次の本であり、小学生高学年向きである。

ポプラ社「僕は上手にしゃべれない」椎野 直弥さん作 児童文芸新人賞(2018)

この本は、300頁にわたる長編大作であるが、読みやすい文体(小学生向けだから当然か!)で、主人公やそれを取り巻く人たちの心理描写はうまく、すぐにストーリーに引き込まれる。頁をめくるたびに、少年少女のように、体(胸や脳)が熱くなり、涙腺が刺激される。さすが、物語の意図するところは、年齢に関係なく伝わってくる。

この本を読んで、感じることは、私たちが、弱者にいつも優しくできるだろうかということである。彼らを無視したり、差別したり、虐めたりしていないだろうかと自問することになる。

主人公の中学一年生男子の柏崎悠太くんは、吃音で子供のときから苦しんできた。同じクラスになった古部加那さんは、自らも吃音があったが、劇のセリフを繰り返し読むことで克服したという稀有な経験を持ち、そのようなトレーニング方法を主人公に無理矢理課して、吃音を直してあげたいと願うのである(そのウラには、友達がいない彼女は、主人公と友達になりたい、友達でいたいという感情がある)。そのサポートは実に献身的で大変である。

主人公をあたたかく見守り、サポートするのは、先輩の中三男子の立花孝四郎くんであり、彼は放送部の部長である。主人公は自ら望んで部員となり、古部加那さんも主人公と友達になりたいという魂胆があって、部員になる。また、主人公の姉(中三で、先輩の立花孝四郎と仲良し)も実に頼もしく優しく献身的である。母も、みんなとても優しい。そして学校の担任の先生である女性の椎名先生も男顔負けでぶっきらぼうではあるが、心根は優しく、主人公を見守っている。物語は殆どみんなイイ人ばかりである。

でも、主人公は、自分だけが吃音で苦しんでいて、誰も自分のことを分かってなんかいないと考え、他の人のサポートも、とてもうっとおしく感じ、周りのみんなに暴言を吐いてしまう。

しかし、色々な出来事があって(これを全部書き記すと感想文ではなく物語のサマリーとなるのでやめる)、主人公は、自分の置かれている立場や状況を自覚し、自ら弁論大会に出て、どもりながらも、力強く、次のように語ることになる。

「言葉には、人を変える力がある、大切な人を救う力がある。」

さて、吃音(者)は、発達障害の一つというが、障がい者には分類されていない。しかし、健常者でもない。従って、仕事をするにしても、障がい者枠ではなく、健常者枠で競争を強いられる。また、努力しても、吃音は治るものでもないとある。吃音は、まだ解明さえていないメカニズムのようである。緊張すると吃音が出るが、歌なら極めて上手に歌えるということもある。これは、私には、実感としてある(その人は、英語の歌も、中国語の歌も実にうまい!)。

とにかく、私たちは、目の前の弱者に成り代わることは出来ない。しかし、弱者の声を真摯に聞くことができる。少なくとも聞く努力をすることは出来る。私たちは弱者の言葉に耳を傾ける必要がある。途中で遮らずに、最後まで聞く必要がある。これは実に大変ではあるが。

そして考えるまでもなく、本当の強者など、どこにもいない。みんな、弱いところをもつ。それをあざ笑ったり、冷笑したり、皮肉ったり、バカにしたり、・・・そんなことをしては、いけないと思う。

逆に、手を差しのべてくれる人に応えるべく、弱者は弱い部分を克服していく努力をすることが大切であろうと思う。

いずれにしても、この本は、とてもイイ本であると思うし、感受性の高い少年少女は一度読んでみる価値はあろう。

・・・はて、このような読書感想文を提出すると、学校の先生は、〇をくれるのか、一抹の、いや大いに不安はある。そもそも、本をどう読もうがどう解釈しようが、読み手の勝手であって、読書感想文の出来不出来は、どうでも良くって、その本のどこかに感銘を受けたり、反発したり、色々あって、心のどこかにとどまれば、そのうち、その人の人格やキャラクターになっていくはずで、...と思う次第である。 

たまに、少年少女のための物語を読んで、柔らかったあの頃の心にもどろう (*^^)v