はにわ展に行ってきました!
普段、文化や芸術とは無縁の生活をしている中で、仕事に追いまくられていることへの気晴らしに、上野の東京国立博物館(平成館)で開催されている「特別展はにわ HANIWA!」に行ってきました。
挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展「はにわ」
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2660
そこで撮ってきた写真です。自分の顔に似ていたのと、はにわ(動物)の大群です。
はにわは、素朴でしょ! ・・・というか、埴輪の種類も数も多いことにビックリなのですが、またそれを見に来た人(見学者)があまりにも多くって、これホント疲れましたね!? ・・・ このような感想文では、小学生以下なので、ChatGPTで「埴輪」について聞いてみましたので、参考までに掲載します。
埴輪は日本古代史を語る上で欠かせない文化財で、特に古墳時代(3世紀後半~6世紀)に関連しています。以下、埴輪について詳しく解説します。
埴輪とは何か?
埴輪(はにわ)は、古墳の周囲や頂上に配置された素焼きの土製品で、日本古代の宗教や文化、社会の在り方を反映したものです。円筒形や形象埴輪(動物や人、家の形を模したもの)があり、特に形象埴輪は多様な種類で知られています。
埴輪が作られた理由
- 儀礼的・宗教的な目的
埴輪は、死者を祀る儀礼や祖先信仰に関連すると考えられています。古墳時代には強い祖先崇拝があり、埴輪は死者の霊を鎮めたり、来世での生活を支援したりする役割を果たしたとされています。 - 権力の誇示
古墳時代の豪族や支配層が、自らの権威や威厳を示すために巨大な古墳を築き、その象徴として埴輪を配置しました。埴輪は単なる装飾ではなく、当時の権力構造を象徴していたのです。 - 墓の保護
古墳の周りに配置することで、墳丘を守り、風雨による浸食を防ぐといった実際的な機能を持つとも言われています。
埴輪の種類が多様な理由
- 社会や生活の反映
埴輪には人(武人・巫女・農夫など)、動物(馬・犬・鳥など)、道具(盾・家屋・船など)など、多種多様な種類があります。これらは、当時の生活、宗教儀礼、階級社会を反映しており、支配層や地域の文化的背景が投影されていると考えられます。 - 地域差と時代の変化
日本各地の古墳で発見される埴輪は形状やスタイルに違いがあります。これは地域ごとの文化的な差異や、古墳時代を通じたデザインの進化が影響しています。 - 象徴的意味合い
たとえば、馬の埴輪は交通や軍事力を象徴し、家屋の埴輪は死後の住まいを表すとされます。このように埴輪の種類は、象徴する意味によってバリエーションが広がったのです。
古墳時代の政権と民衆の関係
- ヤマト政権の形成と豪族の台頭
古墳時代は、日本列島で大和政権(ヤマト政権)が勢力を拡大していた時期です。この政権は、地方豪族を取り込みながら、緩やかな支配体制を築きました。古墳と埴輪は、豪族がヤマト政権の一部として自らの地位を示す象徴でもありました。 - 支配層と民衆
古墳の建設や埴輪の製作には、大量の労働力が必要でした。これには農民や労働者が動員されたと考えられています。支配層と民衆の関係は、上下関係が明確であり、権力者の命令で大規模な建設事業が行われました。 - 埴輪に込められた願い
埴輪が死後の安寧や神への祈りを象徴するものであることから、民衆の信仰や願いも反映されていた可能性があります。
埴輪が持つ魅力的なポイント
- 表情やデザインのユニークさ
埴輪の顔や姿勢には、独特の表情があり、時にはコミカルにも見えます。こうした造形は、古代の人々の感性やユーモアを垣間見ることができます。 - 古代日本の生活を知る手がかり
埴輪は当時の服装、武器、建物など、さまざまな情報を現代に伝えています。考古学的資料として極めて貴重です。 - 壮大なスケール感
古墳の上に並ぶ埴輪群を想像すると、当時の豪族が誇示しようとした権威の大きさを感じ取れます。
いやあ、ChatGPTは、なんでも答えてくれる(ときには、間違っている!!)相棒ですが、・・・・ この埴輪が作られた時代も、埴輪自体は素朴ですが、一般大衆は豪族の支配を受けて大変な目にあっていたのかもしれませんね~ (#^.^#)